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矯正治療; 外側の装置と裏側の装置での発音の違いについて

カテゴリ:Lingual Appliance

日々の臨床に役立たせるための、矯正治療に関する論文を紹介します。

Parametric and nonparametric assessment of speech changes in labial and lingual orthodontics: A prospective study

APOS Trends in Orthodontics. 2013 July; 3(4): 99-109
Ambesh Kumar Rai, Sanjay V Ganeshkar, Joe E Rozario.

 

緒言

 通常、舌側矯正治療を行う患者さんには、装置装着前に多少なりとも舌への不快感と発音障害が生じることを説明する。
しかし、その程度と、それがどのくらいまで続くかという期間、装置への適応力は個人差があり、はっきりとこれらを断定することはできない。
 一方、/s/音は上顎前歯舌側の形態的な特徴と密に関係する摩擦音であり、多くの言語で用いられているため、発音の評価に適している。
 

目的

 

 唇側と舌側にマルチブラケット装置をそれぞれ装着したものを比較して、治療中の発音の変化について評価した。
 

対象

 唇顎口蓋裂を伴わず、発音や聴覚に治療の既往歴がなく、発声法のトレーニングや言語セラピーを受診した経験がない、12人のネイティブなカナダ人(18-35歳)を、以下の2群に分類した。
・Li – 舌側矯正装置(STb)を装着した患者さん6人
・La – 唇側矯正装置(MBT)を装着した患者さん6人

 

評価法

 発音の評価は、無響室で患者さん自身にお名前、年齢、卒業資格、住所を話してもらった後に59の単語を発音してもらい、その中の「Shartu」、「Brush」、「Surya」、「Bassu」という単語を抽出し、PRAATを使用して評価した。 
 

 評価のタイミングは以下の通りである。
・T1 – ブラケット装着直後
・T2 – ブラケット装着24時間後
・T3 – ブラケット装着1週間後
・T4 – ブラケット装着1ヵ月後
 

 また、/s/音における最初の「surya(W1)」と中間の「bassu(W2)」についてはPRAAT 5.0.47を用いてデジタル スペクトル解析を行った。そして、摩擦音の上限周波数においては幅広いスペクトル解析を行った。
 

 聴覚分析として、2人の言語聴覚士と聴覚訓練士により59の単語の中からランダムに音節の不正確さと歪みを以下の5段階で評価してもらった。
・Grade 1 – 健全な発音である
・Grade 2 – わずかに病的な発音である
・Grade 3 – 中等度に病的な発音である
・Grade 4 – 病的な発音である
・Grade 5 – 重度に病的な発音である
 

 客観的な評価として、4人の発音の訓練を受けておらず、聴覚に問題がない一般人(男性: 2名、女性: 2名)によっても、上記の評価法(Grade 1-5)で発音を評価してもらった。

 

結果

・LaにおけるW1のスペクトル解析では、T1で4298.03Hz、T2で4177.21Hzと減少していたが、T3で4243.07Hzと上昇しており、T4は4262.99HzでT3とほぼ同じ値であった。
しかし、これらの群内比較では、どの値についても有意差は認められなかった。
・LiにおけるW1のスペクトル解析では、T1で4155.96Hz、T2で4012.86Hz、T3で3812.24Hz、T4で4018.22Hzで、T1-T2、T1-T3、T2-T3の群内比較において有意差が認められた。
・LaにおけるW2のスペクトル解析では、T1で3997.32Hz、T2で3922.80Hzと減少していたが、T3で3872.33Hzと上昇しており、T4は3928.86HzでT3とほぼ同じ値であった。T1-T2、T1-T3、T1-T4、T2-T3の群内比較において有意差が認められた。
・LiにおけるW2のスペクトル解析では、T1で4456.67Hz、T2で4267.27Hz、T3で4182.98Hz、T4で4352.36Hzで、T1-T2、T1-T3、T1-T4、T2-T3、T3-T4の群内比較において有意差が認められた。
・W1におけるT1、T2、T3、T4それぞれの群間比較では、どの時期についても有意差は認められなかった。
・W2におけるT1、T2、T3、T4それぞれの群間比較では、T3において有意差が認められた。
・W1とW2におけるT1、T2、T3、T4それぞれの群間比較では、T3において有意差が認められた。
・2人の言語聴覚士と聴覚訓練士による評価において、LaはT1で1.00、T2で1.08で有意差が認められた。
その後、T3で1.04、T4で1.02と減少しており、T2-T4で発音が有意に改善していた。
しかしながら、T4はT1と比較してスコアが有意に高かった。
Liにおいては、T1で1.00、T2で1.10、T3で1.28、T4で1.09であった。T1-T2で非常に有意に発音障害が認められ、T3ではさらに悪化し、その後T4では改善していた。しかしながら、T1-T4では高い有意差が認められた。
・一般人による評価では、Laにおいて、T1で1.08、T2で2.42と、有意に上昇していた。その後、T3で2.00、T4で1.13と有意に減少しており、T2-T4にかけて、発音は明らかに改善していた。
Liにおいて、T1で1.13、T2で2.63、T3で3.04、T4で2.00に減少していた。T1-T2で有意差を認め、T3ではさらに悪化したが、T4で改善していた。T1-T4でも有意差が認められた。
群間比較では、T3とT4で有意差が認められた。
・LaはLiと比較してどの期間においても発音の改善が認められた。

 

考察

・Laでは、装置装着後すぐにわずかに発音障害を認めその後、1ヵ月で発音は通常のレベルまで改善した。これは、スペクトル解析と2人の言語聴覚士と聴覚訓練士による評価において同様の所見で、ブラケット装着直後に最大の発音障害を認めた。
・Liでは、装置装着直後から/s/音の発音障害を認め、その程度は少なくとも1週間は悪化し続けた。
この傾向は、2人の言語聴覚士と聴覚訓練士による評価と一般人による評価と同様のものだった。
・言語聴覚士らと一般人の評価はともに、ブラケット装着1週間後に最大の発音障害を認め、1ヵ月後には改善していたが、それでも正常の発音と比較すると有意差を認めた。
・Laによる発音障害は、加強固定のためのパラタルバーやリンガルアーチによるものであると考えられ、過去の報告でも、矯正装置や補綴物などの歯科に関わる装置は発音障害を惹起すると報告されている。
これらによる発音障害は通常、装置装着直後には認められるが、時間の経過とともに改善していく傾向にある。
・通常、上顎切歯舌側面は30°口蓋側に傾斜している。Liでは、装置を装着すると、摩擦音の発音時に舌位がさらに口蓋側に移動するため、発音障害が認められると考えられる。
・今回の研究において、リリーフ用のワックスを使用させることはなかった。
Liにおいて、発音を一番困難にさせるのは「舌の痛み」であり、リリーフ用のワックスを使用することで痛みが軽減したと報告されている。
また、装置装着前と比較して、会話のスピードが遅くなったことも自覚している。
過去の研究において、舌側矯正装置装着直後の舌の痛みを評価した結果、舌尖と犬歯-小臼歯部の舌の側面に疼痛を感じるとの報告がなされている。そして、ほとんどの患者さんがこれは1-2週間継続し、いくつかの研究では1ヵ月続いたとの報告もなされている。
この研究においても、舌側矯正装置は、患者さんの舌が自動的に矯正装置の鋭角な断端に当たることによる疼痛の結果、発音障害が生じると考察されている。
・スペクトル解析から、以下の4つのことが明らかになった。
 - 摩擦音における子音の空気の流れの障害は、舌尖が装置にあたることで生じるものであり、これは、矯正装置装着直後から認められた。
 - 子音における周波数帯域の低下は、音の共鳴の低下を引き起こす。これは、矯正装置の影響で舌尖の位置が後方位になったためと考えられる。
 - 全体的な子音の強度の低下は矯正装置装着1週間後に認められ、これは、矯正装置と干渉することによる舌の痛みのためと考えられる。
 - 装置装着直後は、会話のスピードがゆっくりであったが、1ヵ月後には装置に慣れ、努力することなく通常の会話の速度になっていた。
・言語聴覚士らは、Laでは装置装着直後に発音障害が認められたが、装置装着1週間後には有意に改善していたと評価したが、Liでは、装置装着1週間後にさらに悪化していたと評価した。
この発音障害は主に/s/音(摩擦音)、/d/音(接触音)、/l/音(流動音)の、歯槽に接触する音によるものであった。
これは、舌尖の位置が後方位であったことによるものであると考えられる。
・一般人による評価も言語聴覚士らのものと同様で、LaではT2が、LiではT3において最も低かった。また、T1とT4における群内比較では、Laでは有意差が認められなかったが、Liでは大きな有意差が認められた。
これは、やはり舌の矯正装置への適応力の違いによるもので、Liと比較してLaの方が舌の痛みの改善が早かったことによると考えられる。
・一般人によるT4での評価において、発音障害としたのはLaで22.5%、LIで40.5%であった。
過去の研究においても舌側矯正装置を用いると20-37%の発音障害が認められると報告されており、適応できるまでは食事や会話が困難になることのストレスから怒りっぽくなったり攻撃的になると報告されている。
・舌側矯正装置における発音との関係性は、ブラケットの装着法による影響も考えられる。BEST positioning techniqueはTOP(transfer optimized positioning) systemと比較してブラケット ポジションが口蓋側寄りである。
例えばTOP systemの場合、すべての歯においてブラケット底面と歯の少なくとも1点の舌側面とが接触しており、ブラケットの厚みも薄くすることが可能である。
文献的にこれらのことが明らかにはなっていないが、可能性としては考えなくてはならないことである。
・ブラケットの厚みに関しても考えなくてはならない問題であり、厚みが薄いほど快適で発音障害が認めづらいと報告されている。
・今回、性別や年齢については調査しなかったが、過去の研究においては、舌側矯正装置を用いることによる発音障害に性差は認められず、57歳以下であれば年齢による差もなかったと報告されている。
・今回、Liは上下顎同時にブラケット プレイスメントを行ったが、上下顎を分けて行うことで患者さんの舌側矯正装置への適応が違った可能性が考えられる。
・Liの方がLaと比較して発音に対する障害が大きく、Laでは装置装着1週間後には発音の改善が認められたが、Liでは装置装着1ヵ月後でも正常には戻っていなかった。
この結果は過去の研究と同様のものであったが、その傾向は今回の研究の方が著しかった。
これは、研究間での使用した言語の違いによるものと考えられる。

 

まとめ

・舌側矯正装置を装着する患者さんは、治療を開始する前に、舌側矯正装置によりある程度の不自由と不快さを生じる可能性があることを知っておくべきである。
しかしながら、それについて治療前に考えすぎることもかえってその症状を悪化させる可能性がある。
・患者さんは通常、1週間程度で矯正装置に慣れてくる。そのため、患者さんの様子をお電話にてお伺いすることは、患者さんを安心させるうえで非常に重要である。
・舌の痛みを軽減させるためには、ワイヤーガードやリリーフワックスが有効であるが、リリーフワックスの長期使用は食片圧入のような働きをし、歯頚部のブラッシングを困難にさせるため、避けるべきである。
・装置装着直後は、熱いものや辛いものの摂取は、さらなる舌への刺激につながることから避けるべきである。
また、少なくとも最初は線維性のものや硬い食べ物も避けるべきである。
その他の食べ物についても、装置に慣れるまでは小さく切り、ゆっくりと食べるべきである。
・矯正科医は患者さんの発音の状況について注意深く観察することが重要であり、必要であれば言語聴覚士による治療も考えるべきである。
・装置装着直後の数日間は、/s/音、/d/音、/l/音、/z/音の発音が困難である。
・装置装着1週間後に新聞を読むことは発音の改善のために有効である。
しかし、あまり早期に行いすぎると、舌の痛みや状況がかえって悪化する可能性がある。
・舌側矯正を用いる際、可能な限りパラタルバーやナンスのホールデイングアーチの使用は避けるべきで、加強固定には矯正用インプラントを用いるのが良いと考えられる。
・患者さんの快適性を改善するためには、上下顎のブラケット装着時期は分けて行うべきである。
・大きさの小さい矯正装置の方が障害は生じにくい可能性があるが、治療効果の検証については十分に行うべきである。
・舌側矯正治療の成功には、矯正科医とスタッフ両方が患者さんの適応力、痛みに対する感受性、食生活、口腔衛生状態、会話についての注意が必要である。
すべての舌側矯正装置において会話に対する障害や口腔内の不快が生じるが、その程度は装置の種類によって異なると考えられる。
・臨床家は、「TLC(tender、loving、caring)」を常に心がけて患者さんと接するべきである。

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